小林麻央さんの乳がんのニュースを今朝見ました。
関係者の心配な気持ちを察して余りあります。
がんは本当に”非日常か”
言いたいことは一つ、いつ何があってもいいように生きていない、やはり僕らは。
どこか他人事のように聞こえる、見える、書かれている。
当人に対してではなく、自分自身のことを考えたか。
いつ何が起きてもいいように生きているか。
最後だとおもったら
そうしたら朝ご飯の目玉焼きが最後かもしれない
「いってきます」という言葉が最後かもしれない
大好きなラーメン・コッテリも最後かもしれない
一緒に海へドライブするこの道も最後かもしれない
近所のサミットで一緒に夕飯の買い物をするのも、これで最後かもしれない。
そんなことが沢山、沢山出てくるのです。
日常は「常」ではなく「特別」の集まり
僕たちの日常は、「日常」ではなく「特別」の積み重ね、連続なのです。
それが当たり前になってしまった時、人はそのありがたみを忘れてしまうのです。
震災やテロでも”のどもと過ぎる”。学べない
それを、震災でも、テロでも、熊本でも学んだはずなのに
やはりなにか自分には関係のない話だと、どうしてもそうなってしまいます。
それって幸せなことなのかどうか。
今日が最後だと思ったら、自分は何をするのだろう?
その考えを、現実味のあるレベルにあげて考えたいし、実行していきたいです。