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泣く子も黙る鳴子温泉
仙台の奥座敷鳴子温泉のその更に奥にある秘境「鬼首(オニコウベ)温泉」。お湯が柔らかく夜に二回、朝起きてからも湯浴み。
みちのくの秘境で風と木々の音しかない静寂のなか、ぽちゃんとやる。宿泊した「とどろき旅館」も古い家屋が味わい深いですね。忍ばせた夏目漱石の『坊っちゃん』も雰囲気がバッチリ合って夜な夜なちびちびとやりながら読みふける・・。
また料理も素朴ながら地のものを活かした日本的な味わい。夕食はあこがれの部屋出し。栗の天ぷら、岩魚の塩焼きや鴨鍋、そしてなんと鯉のあらい。鯉を真面目に食べたのは初めてでしたが、からし酢みそで味わう舌触りは鳴子の地酒とよく合って至福・・。NHK大河の「新選組!」で芹沢鴨が居酒屋ひょうたんで鯉のあらいを出すシーンがありますが、その本物を味わうことが出来ました。
勿論ごはんは新米のササニシキ。この美味しさは東京では味わえないもの。おかみさんのご家族が作っているものだとか。これが地産地消なのでしょう。
地中から10分おきに温泉が吹き出す”間欠泉”
松島の国宝「瑞巌寺」〜「円通院」庭園を歩く
鳴子温泉からは南下の旅。松島海岸まで高速で飛ばし国宝「瑞巌寺」へ参内。伊達の殿様や家来が駐屯してた場所で、何にせよお城の代わりになるくらいなので、本堂はとてつもなくでかいです。
本堂の中は美しいふすまなどで部屋が仕切られていてお殿様の間や家来の控え室、応接室など、お城みたいに幾つかの部屋にわけられていました。
紅葉間近の木々。本院の寂寥感、素朴なたたずまいが、忘れていた日本人としての細胞を揺さぶる・・。
容保公のお膝元、会津の地へとのぼる
仙台の海岸を走る仙台東道路から被災した海岸を眺めつつ東北道へ入り郡山JCTから磐越道で一路、会津へ。
会津若松駅近くに宿を取り、地元の居酒屋「作造」へ繰り出します。馬刺ロースやにしんの天ぷら、そばを肴に会津の地酒が旨し。いよいよ松平容保のお膝元に来たのだと思うと、、否応なく気分が高まります。
芋焼酎が書かれていないのは宿敵・薩摩だからか!?
(メニューにはありました)
近藤勇の墓所をお参り:天寧寺
翌朝は朝食前に散歩がてら天寧寺をお参り。山全体がお寺の敷地になっている感じがいいですね、平地があまりないのです。(”the temple is nothing special”と書いていた外国人がいましたが、全然甘いです)近藤先生の墓所は5分ほど山を登っていった先にありました。
斉藤一が三条河原から取り戻してきたといわれる近藤の首が眠る場所。
多摩(いまの日野、調布)に始まり、最後は遠い会津、この場所で恩人の容保公に護られて終わりを迎えたのです。やはり人の一生とは本当に筋書きのない物語。土方歳三の碑も横に立てられていて、君恩会津に眠る二人
容保公陣中、旧滝沢本陣。
会津戦争で松平容保が陣を置いた滝沢住宅。茅葺き屋根、土間、座敷という東北住居の実物に圧倒されます。
湯殿や厠(かわや)も残っていて昔の日本家屋の雰囲気が存分に味わえます。
「厠は使用しないで下さい」と注意書きがあるだけで、他のものは手で触って感じられるのもいい。
*大体文化財は”あれダメ、これダメ、入っちゃダメ”ばかりなのだ。アトキンソンさんの言う通り。
薩長兵が打ち込んできた弾痕や刀傷が生々しく残ってて、会津戦争を一番近く感じられたスポット。
白虎隊の英霊を訪ねて / 飯盛山
白虎隊とは会津戦争で戦い悲劇的な最期を遂げた14〜17歳の少年兵団。その自刃の地、墓所がまつられているのが飯盛山。自刃の地・墓所まで普通の人であればちょっとした山登り程度で、気持ちよく散策しながら歩いていけます。正面の階段はややきついので左からのゆるやかな参道がおすすめ。
なかでも国の重要文化財「さざえ堂」は渦巻き状に廊下が造られていて、他の人と行き交うことなく出口まで抜けられる興味深い建築物。
日本酒ファンに嬉しい酒蔵天国
会津には古い酒蔵が多く、ファンにはたまらないスポット。今回は七日町の末廣酒造へたちよりお土産をゲットしました。
なんと蔵の見学が無料(時間指定あり)。こころゆくまで試飲を愉しんでみては。
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泣く子も黙る鳴子温泉
仙台の奥座敷鳴子温泉のその更に奥にある秘境「鬼首(オニコウベ)温泉」。お湯が柔らかく夜に二回、朝起きてからも湯浴み。
みちのくの秘境で風と木々の音しかない静寂のなか、ぽちゃんとやる。宿泊した「とどろき旅館」も古い家屋が味わい深いですね。忍ばせた夏目漱石の『坊っちゃん』も雰囲気がバッチリ合って夜な夜なちびちびとやりながら読みふける・・。
また料理も素朴ながら地のものを活かした日本的な味わい。夕食はあこがれの部屋出し。栗の天ぷら、岩魚の塩焼きや鴨鍋、そしてなんと鯉のあらい。鯉を真面目に食べたのは初めてでしたが、からし酢みそで味わう舌触りは鳴子の地酒とよく合って至福・・。NHK大河の「新選組!」で芹沢鴨が居酒屋ひょうたんで鯉のあらいを出すシーンがありますが、その本物を味わうことが出来ました。
勿論ごはんは新米のササニシキ。この美味しさは東京では味わえないもの。おかみさんのご家族が作っているものだとか。これが地産地消なのでしょう。
地中から10分おきに温泉が吹き出す”間欠泉”
松島の国宝「瑞巌寺」〜「円通院」庭園を歩く
鳴子温泉からは南下の旅。松島海岸まで高速で飛ばし国宝「瑞巌寺」へ参内。伊達の殿様や家来が駐屯してた場所で、何にせよお城の代わりになるくらいなので、本堂はとてつもなくでかいです。
本堂の中は美しいふすまなどで部屋が仕切られていてお殿様の間や家来の控え室、応接室など、お城みたいに幾つかの部屋にわけられていました。
紅葉間近の木々。本院の寂寥感、素朴なたたずまいが、忘れていた日本人としての細胞を揺さぶる・・。
容保公のお膝元、会津の地へとのぼる
仙台の海岸を走る仙台東道路から被災した海岸を眺めつつ東北道へ入り郡山JCTから磐越道で一路、会津へ。
会津若松駅近くに宿を取り、地元の居酒屋「作造」へ繰り出します。馬刺ロースやにしんの天ぷら、そばを肴に会津の地酒が旨し。いよいよ松平容保のお膝元に来たのだと思うと、、否応なく気分が高まります。
芋焼酎が書かれていないのは宿敵・薩摩だからか!?
(メニューにはありました)
近藤勇の墓所をお参り:天寧寺
翌朝は朝食前に散歩がてら天寧寺をお参り。山全体がお寺の敷地になっている感じがいいですね、平地があまりないのです。(”the temple is nothing special”と書いていた外国人がいましたが、全然甘いです)近藤先生の墓所は5分ほど山を登っていった先にありました。
斉藤一が三条河原から取り戻してきたといわれる近藤の首が眠る場所。
多摩(いまの日野、調布)に始まり、最後は遠い会津、この場所で恩人の容保公に護られて終わりを迎えたのです。やはり人の一生とは本当に筋書きのない物語。土方歳三の碑も横に立てられていて、君恩会津に眠る二人
容保公陣中、旧滝沢本陣。
会津戦争で松平容保が陣を置いた滝沢住宅。茅葺き屋根、土間、座敷という東北住居の実物に圧倒されます。
湯殿や厠(かわや)も残っていて昔の日本家屋の雰囲気が存分に味わえます。
「厠は使用しないで下さい」と注意書きがあるだけで、他のものは手で触って感じられるのもいい。
*大体文化財は”あれダメ、これダメ、入っちゃダメ”ばかりなのだ。アトキンソンさんの言う通り。
薩長兵が打ち込んできた弾痕や刀傷が生々しく残ってて、会津戦争を一番近く感じられたスポット。
白虎隊の英霊を訪ねて / 飯盛山
白虎隊とは会津戦争で戦い悲劇的な最期を遂げた14〜17歳の少年兵団。その自刃の地、墓所がまつられているのが飯盛山。自刃の地・墓所まで普通の人であればちょっとした山登り程度で、気持ちよく散策しながら歩いていけます。正面の階段はややきついので左からのゆるやかな参道がおすすめ。
なかでも国の重要文化財「さざえ堂」は渦巻き状に廊下が造られていて、他の人と行き交うことなく出口まで抜けられる興味深い建築物。
日本酒ファンに嬉しい酒蔵天国
会津には古い酒蔵が多く、ファンにはたまらないスポット。今回は七日町の末廣酒造へたちよりお土産をゲットしました。
なんと蔵の見学が無料(時間指定あり)。こころゆくまで試飲を愉しんでみては。
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