何気なく使っている元号。元号が変わることのは一生に一度、二度くらいでしょうか。今日、2019年4月1日、新しい元号が発表されました。日本の歴史上、天皇の崩御でなく、退位・禅譲での改元に立ち会えるというのは本当にレア中のレアです。この時の感動を記しておきたく、書いてみました。
『令和』
いまいちピンとこない、というのは当然なのでしょう、普段使う言葉でもなく何と言っても二文字なのだから…。
自分にとっては2回目の改元となりますが、前回は小学校の頃で何の考えもなく。通常は、天皇陛下の崩御とあわせて発表されるから、こんなポジティブな騒ぎにはならないですね。しんみりとしていたような。当時は小渕恵三さんのあの有名な、あのシーンです。あれも今見ると随分と古く感じます。30年以上前ですから当然なのですが、言って見れば、[平成]のもつ新しいニュアンスが当時から今までにもあったように思います。
何はともあれ、国として愛でる瞬間を迎えとてつもなく喜びにあふれています。
日本という国、天皇、歴史、文化、アイデンティティ。
この時をどう過ごすか、しっかりと考えたい。日本という国の成り立ち、天皇というもの、歴史、文化、アイデンティティ、つまり世界の中の日本という問い。
この機会は多くの人にとって、日本という国を考える絶好の機会になるのではないでしょうか。
安倍首相が仰っていたように、多様性を受け入れ、認め合い協調して行ける社会。それは世界の先進国が既に展開している社会でもありますが、日本もそこに来たのか、、とても感慨深く感じています。
一方、自分の生まれた昭和、人にと人との間で成長してきた平成の時代が終わることに、たぶん、今よりもっと寂しさが増すことでしょう。
退位による改元という先進性。
それがいちばんではないでしょうかね。平成の天皇陛下はやっぱりすごいです。単なる象徴にとどまらない、いい意味で、知的レベル、教養レベルが高くて本当に尊敬します。日本の歴史上、天皇の崩御でなく、退位・禅譲での改元に立ち会えるというのは本当に貴重な経験なのです。
退位をご希望されたときには、旧態依然とした(当然だと思いますが)官房や宮内庁や関係各所だったと思います。2010年が最初だというから、本当に裏側では大変なやりとりや事務処理があったのだと思います。
前例主義的な観点から、沢山の反対意見もあった(当然)中で、それでも、そうした新しい試みに、挑戦し、意義づけ、形にしていった政府の皆様、役所の方々にも、尊敬の念を表します。そうした人に感謝できることも、国の一員としての責任意思なのです。
大化の時代から流れる日本の国
同時に、大化の時代から流れる日本の国に、自分が今いるということは、歴史の中でたまたま、その途中に居合わせたに過ぎないのだという、刹那な存在を感じることもできたように思います。時間の中に生まれ、やがて亡くなってゆく自分というものを知った気がします。
国書からの典拠
今まで、元号が中国の古典などからしか作られていなかったと知り驚きました。漢字は確かに中国がルーツとはいえ。それを今回は先進的な日本的センスで、自国の古典に典拠するなんて素晴らしい。万葉集は今でも読書の文脈でよく引用によくのぼる書物ですし、さらに興味が湧きました。
自国に対する誇りをもって生きることのできる社会。教養、知的環境、多様性。そういったものにつながることを本当に祈っています。そして、そうした国に生まれた自分を幸せものだと、本当に思います。
慣れる頃、また新しい時代が
『令和』。今はまだ慣れないけれど、この元号に慣れる頃には、また新しい時代がやってくるのでしょう。その時まで、じぶんは生きているだろうか?そして、何を、どう、どんな人たちとともに、生きるのだろう、喜びを分かち合うのだろう?そんな問いもあります。
改元まであとひと月、今日のことの時を刻んでおきたく、書いてみました。さっきも書いたように、個人的な日記のようなものでした。
自分の生まれた国、家族、歴史、そして世界を思う、とっても貴重な機会を迎えています。