祖母の三回忌に思うこと。

今日は祖母の三回忌でした。11時からかとばかり思っていたら、13時開始ということがわかり割りにゆっくりと朝食をとる事ができた朝でした。

お寺は千葉の八千代の方にあります。練馬IC付近からでは外環から常磐道の柏ICで降りて16号を南下するというルートです。が、これがやけに混んでますね、ARIOやAEON?やなんかが集中しているエリアがあって、そこは16号も裏道も車の長蛇の列です。今後もう通りたくないですね。便利目的で商業施設を集中させてみたところ、そこにいくまでの道で大混雑が起きるという最悪の状況でした。まあそれはひとまず置いておいて。

おばあちゃんが亡くなったのは二年前の五月です。その時は、何日か、泊まりがけで千葉の病院に自分も行ってました。その時は、おばあちゃんがどんどん痩せっていってたし、表情も変わってきてしまって本当に辛かったのですが、それでも最後まで結構話はできていました。

最後に僕に求めたのはみかんでした。そんなものがおばあちゃんにとっては本当にこころから欲しかったものだったのでしょう、何度もなんどもみかんをくれとせがむ様子を覚えていますし、実際に何度も口に運んで入れてあげたら満足していました。(本当はいけないのかもしれませんが、医師の方もそういった状況から黙認してくれたように思います)

その時、おばあちゃんにはたくさんお世話になったので、なんとか出来る限り体一つでも出来る事あればやろうと思ってやっていました。ちょうどGWの時期で予定もあったものをキャンセルしたりして(下田のベッセルですね、その後何度も行きましたが)とにかく病院に行ってました。距離が結構あって、夜中のイメージが強くて(泊まりになるから夜から行ってたかな)。

その時もGOLFが一生懸命走ってくれましたね、弟やお見舞いに来ていた叔父叔母を乗せて走っていたの思い出します。今ではGOLFもその役目を終えてしまいました。

呼び名は”千葉のおばあちゃん”なのでした。おばあちゃんの家によく遊びに、、いや小さい頃は夏とお正月くらい。だからいとことも会えるのがその時くらいで、逆に楽しみにしていましたね。その時のいとこも今日、お寺で会う事ができて、そしてとても元気そうで、懐かしい気持ちでした。

特に千葉のおばあちゃんが作ってくるカレーがとても美味しかったので、よくせがんで作ってもらっていたように思います。その時には、それがいつまでも続くように思われた時間でしたが、気がつけば(という表現はよくないけれども気持ち的にはそうなのです)おじいちゃんも、おばあちゃんも、亡くなってしまいました。その記憶や思い出がひたすらに自分の中と、いとこや親戚の中に残っている感じです。

その意味では、[場所]も思い出や記憶を共有できる最たるものかと思われます。当人はいないけれども、場所は残っている。少なくとも地球がある以上、その場所はある。建物や風景が変わったとしても、その場所はあるのだと思い直しました。

そう考えると、今までにおばあちゃんや千葉の親戚と共有した場所を、もう一度巡ってみたい気持ちになります。自分の中での断片的な記憶を、場所を巡る事でもう一度、その時を体験する事ができるかもしれないように思われました。

いとこの子供達もみるみる大きくなっています。その分、自分も、自分の親も、着実に、確実に齢を重ねていることに気づかされます。時は確実に不可逆的に流れ続けていることに、それでも一方では安心感も覚える時もあります。いいこと、楽しいこと、ばかりではないですから、辛いことも、厳しい時期もゆくゆく、変わって落ち着くだろうと思えるから。でも、そういった懐かしい人間関係を思うに、やっぱりちょっと寂しさはあるかもしれないですね。…まとまりのない文章になってしまいましたが。

お寺で撮ったなんとなしな写真が、手元に、早速送られてきました。

その時が切り取られた一枚。本当に散々な事があって、楽しい事があって、そして集まったみなさんの姿が写った写真。

なんとなしなスナップだけど、とっても好きな一枚になりそうです。

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