歩道というものについて考えさせられます。
仕事帰りの帰り道
仕事の帰り道に、時々妻と駅で落ち合うことがあります。ちょうど仕事が終わるタイミングが同じような場合です。そうした時には、地元のサミットによって一緒に買い物をして帰ります。
狭すぎて縦に並んで歩く夫婦
帰り道というのは、当然一日の終わりなので、その日にあった出来事やなんかが話に出てくるものです。僕が思うのは、そうした話をするには、[歩道が狭すぎる]ということです。すれ違う人が多いし自転車も通るので、横には並べず、縦に並ぶ。初期のドラクエ状態でズラズラと。会話も何もできないのです。
道路を計画なり整備なりする時に、歩道の意義は人がすれ違える程度の幅があること、くらいにしか考えれていないように思います。現に、そうした事に気付くまでは僕だって全く歩道のことなぞ、数ミクロンも気にしたことはなかったのですから。
歩道を対話の生まれる場所に
でも、歩道は近しい人と歩きながら言葉を交わす道。散らせる要素をもう少し加えていけると良いです。効率性や機能性も大切ではありますが、それは旧来の日本の求めてきた視点ではないかと思います。これ以降の日本に求められる要素は、生活感、もっと言えば優しくなれる街づくり、都市づくりではないかと思うのです。
そこには普段の生活があり、暮らす人の対話があり、[帰り道]があります。その場所をもっと安らぎのある場所に、人間に近しい観点から考えられることが今後は求められる先進性でしょう。
結婚してからそうした気づきがありました。たかが歩道ですが。。そこは一日を終えた夫婦や家族のホッとする対話が生まれる道でもあるのです。