音楽や映画や小説がいつからか響かなくなっている自分に

芸術とかというもの

最近、心を無条件に動かされるような芸術と向き合っているかなという気がしています。

芸術というのは大袈裟で、例えば音楽であり、例えば小説であり、映画であり。またはピアノを弾くこととか。立派なものでなくて良いのですよ、昔っから自分の好きだったもの、いい意味で、自分の世界に閉じこもって没頭できているかという問いです。

年を重ねるごとにいろいろな経験をして、ある程度現実的な平穏無事を獲得してくると、昔持っていたようなマイワールドへの憧憬がなくなってくるような気がします。

昔は自分は無限だったよね、いつか何かが起こると信じているような。そうした未来への思いがマイワールドをどんどん深めていった気がします。そこには、憧れがあったように思うんだよね、対象は生きることのあらゆるものだよ。

例えば好きな異性への憧れとかもそうだし、行ったことのない場所への憧れもそうだし、自分の能力を認めてもらいたいという希望もそうかもしれないです。

そうした世界と随分真面目に、自分の頭の中で向き合ってきたなぁと思うのだけど、果たして今はどうかな?皆さんはどうですか?

未知の憧れがあるときに、音楽とか物語などの芸術って響くのではないかと思うんだよね、上に書いたものとか、経験のないものを思うときに葛藤や嬉しみや希望や何かが入り混じるのではと。そういう時に音楽は輝くし、物語は自分の中に入ってくるのではないかと思います。

なぜだろう、それはきっとそうしたものが悩みとか問いから生まれたものだからだと思うのさ。どうだろう?

もっと音楽や小説や映画を見て心を揺られたいな。昔みたいに。あの頃は何も知らなかったからかな。それならもう、知ってしまった自分には音楽や物語は不要なのかと思うと悲しくなる。

そうではないと思うんだ、実は何も知らないからね。知ってるふうで知らないんだな。知ってるふう、っていうのがよくないのかも。

自分は何も知らないし、憧れるべき未来とか、経験とかがまだ普通に有り余るほどあるんだと思うことにします。だから楽しみとか、いとしみとか、うずくような気持ちって、実は生きる上で相当大切なものなんだよ。そうしたことに悩まないような悟りを開いたような人には、生きることのとんでもなく嬉しいカラフルさは感じられないんだろうな。

何度でも恋しよう、憧れよう、夢見よう。そうしたことが心を躍らせて、音楽や物語を取り戻せるきっかけになると思います。

Average White Band の弾けるようなナンバー[Our Time Has Come]を聴きながら。。

この曲が1曲目の[SHINE]っていうアルバムを聴いていたらさ、むかっし感じたよなうずくような憧れが弾けるようなそうした気持ちが戻ってきました。海の匂いやビールの美味しさとか。サウンドはアースに似てますね、プロデューサーがそうみたいです。あまり気にしない、

第一、生きることは有り余るようで、全く、短いし。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)