オールドテープ音源の公開

2010年前後

今から10年以上前ですね、音楽仲間のつてで懇意をいただいたプロデューサ唐澤先生の後押しで、歌詞を提供してもらい、綾智成くん初め、いろいろな歌い手さんにヴォーカルをお願いする形でオリジナル曲を作っていました。10年前と言っても当時はクラウドも出始めで、動画視聴に耐えうるスマホ普及の前夜でしたから、やはりCDを手作りし、ジャケットをプリンタで両面印刷し、封入し、配布するという、アナログな感覚でした。。

活動期間は概ね2009年〜2013年が中心で、そのあとも音源は発表していましたがコアはその期間です。その時に吹き込んだ楽曲たちは「高田芳樹」の名のもとに、今でも一応、Amazonやitunes,Apple musicなどでお聴きいただくことができます。

オールドテープス

今回、オールドテープスとして公開したくなったのは、自分がいつか、いなくなる、その時に、タンスの奥にCDが眠っているのではなく、公開メディアに置かせていただき、いつか、誰か、どこかで、何かのきっかけでそれらに触れてくれる機会が増えるかもしれない、と思ったからです。それが何を意味するのかは後で述べます。

既にリリースされている楽曲も、何度もミックスや音入れを繰り返しています。今回は可能な限り、正規リリース版と同じトラックでなく、そうした少し前のバージョンがあればそれをアップすることを主眼にしました。どうしても、力が入りすぎているのは否めず、本リリース版よりも2,3前のバージョンの方が、または下手したらラフの吹き込みの方が自然で聴きやすく音楽の持つやわらかさが豊かだったりすることに気づきました。特に1stAlbum『LIFE GOES ON』は、ほぼ全て、リリース前にライブハウスなどで手配布していた時のミックスとなっていて、いま聴くとこちらの方がすっきりと柔らかい音しているなと思います。

正規リリースした作品リスト

今までにWEBへ正規リリースした作品リストです。この中から、今回は『LIFE GOES ON』『さよならからep』の2作についてアナザーミックス版をアップしました。世の中的に少し取り上げられたのは1stから「春ときみ」「つつみ込む、手のひら」、2ndから「さよならから」。個人的には1stから「MY MOON」は歌謡曲を意識してみたら楽しかったし、2ndから「雫」は純粋にピアノを弾いていた特に思い入れのある曲ですのでよろしければお楽しみください。

  • 1st Album 『LIFE GOES ON』(2010)
  • 2nd EP 『さよならからep』(2011)
  • 3rd EP 『magic』(2013)
  • 4th Album 『Rain Will Fall』(2015)
  • 5th EP 『 Plastic Moon』(2016)
  • 6th EP『POTS』(2017)

この試みは曲のどうこうをアピールしていきたいものでなく、自分が不在になる前に公開アップしてしまうことが目的であります。それは自分にとって、もう一つの生きた証になるからであります。理想は他にもありますが、できることはやってゆきたい。自分がいなくなってももう少しの間は、人間社会が続く限り、地球にクラウドがある限り、いずれは太陽が赤色巨星になって地球を飲み込んでしまう前に、どこかで人に触れる機会が少なくともゼロではないと思っていますし、もしゼロでもそれは結果です。それに対して自分がそう希望して動きたいということだけでまずは十分です。

【髙田芳樹の本音】*2010年当時の手記より

「つまるところ、キミは何がやりたいのか?」

とよく聞かれます。やりたいことは具体的には、曲を作り、歌モノの場合には歌い手を想定し、リハをし、アレンジをまとめ、スタジオや必要な場合は演奏家などを手配し、スケジュールを管理し、吹き込みをし、それらを聴き心地のいいトラックにまとめ、テレビやラジオやウェブで流れても埋もれないように音圧を調整して(これが、よくCMになると音がでかく聞こえる要因なのだ)責任をもって予算内で制作し、納期以内に納品するという作業です。それを通して、世の中で誰かを喜ばせたい(或いは悦ばせ、歓ばせたい)。「自分」というよりは、「誰か」に向いている。“ぽいもの”をより気持ちよく表現できる制作者あるいは技術者になること。これは縛りも多くて気持ちよく(時に自己満足に)好きなことやるのとは違う動作です。それはアーティストじゃないですね?なので、別にアーティスト(表現者)になりたいわけじゃない。むしろなりたくないし、なれないと思う。だって、表現者になるほど自分は主張のひとつも持っていないのもの。世の中に対する怒りも政治的なステイトメントも倒錯した性的欲求も精神的な宇宙観めいたものやそういう類のものも、何も主張ないです。あったとしてもそんなものを表現するなら「音楽」ではやらない。だってわかりづらいもの。なので、もう芸術的に表現したいものなんて、何もない。それはアルバート・アイラーやファラオ・サンダースやモンクがやればいい。あるいはカート・コバーンが。あるいはオジー・オズボーンがやればいいと思っています。

このアルバム(というか作品集)を作ったのは、

当時、自分が会社を辞めた後、関係者に「音楽の分野で何か一つカタチにしてから社会に戻ります」と伝えた、その“証明物”という意味合いがあります。必ずひとつ、何か作ってからという。なので内容はどんなものでもよかった。テクノでも雅楽でもフリージャズでもロカビリーでも(もともとはドラムンベースでやろうかと思っていました)。そんな中、歌詞の提供も頂いた唐澤基夫氏の発案で、綾智成と10月から作業をした『つつみ込む、手のひら』が、意外に人々に(おおかたのお世辞も含めて、でもそれこそが有り難いことではないか)好意的に受け取ってもらえたこともあり、また一部のFM局でもオンエアされたりして、“歌モノ”がインストよりも人々には受け入れられやすいことを知った。そういうことから、以降、歌モノでまとめることにしたものです。でもさっき書いたように、“表現者”としての音楽ではないから、各曲に一貫性も主張も髙田芳樹のトーンみたいな要素も(多分)ほとんど共通項はないはずです。ピアノが全部に入っているくらい。そういうテーマのようなものをおおかた排除したものの集合体です。そんなものはもはや「集合体」とも呼べない。水気のない砂を丸めて団子にできないようなものだ。ピタゴラスの定理と1792年のジロンド派内閣の成立くらいかけ離れている。歌詞もまるっきりのお任せで、内容については譜割に関するもの以外は全くノータッチです。

少し情緒的な話になってしまうかもしれないですが、

もっといえば、この作品集は、上で書いた「何か一つのカタチ」であるとともに、自分を支えてくれる仲間の存在を、感謝の意味を込めて、ともに併せて表したかった。発起人の唐澤氏、歌い手の綾くん、TOMMY、レオさん。歌詞提供で手伝ってくれた谷くん。音楽を通して、色々な仲間に出会っている自分。こんなに色々な人に囲まれて、音楽が出来るなんて思っていなかったことへの歓びと、独りでは何もできなかった、支えられているのだということを強く感じて、周りと協力し感謝することを学んだ自分です。この点が、自分のなかで、このアルバムで表現したかった重要な点だと思います。

「ロクでもないもの」

個人的には、これがそれまでの自分のベスト、いまのところとりあえずいつ死んでも悔いはないという思いでした。。というのもそれまで、広告の仕事してきたけども、でも何が残ってる?自分は何を残したのだろう??考えたら、「ロクでもないもの」すら、残っていませんでした。生まれてきたんだから、何か一つ、残したいという思いがありました。勿論、今後もこういうものを作れたら、その時点でのベスト、いつ消えても悔いないというものになるはずです。そういう、「生きた証明」を残したいという思いがありました。内容も大事だけど、とにかく残すことで、何かが変わる気がしていました。

まぁ、そういった諸々の理由があったわけです。このアルバムを配布した時に「髙田芳樹はアーティスト気どり。何さまのつもりなのだ。馬鹿げている。・・・」と言われることを踏まえて(勿論、それは仕方ない。避けるべくもない)、いちいち説明するのは面倒なのでしないけど、近しい方には伝えておきたいという思いがありました。

なんとも忙しいところ曲を聴いてもらい本当に感謝しています。

                                

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