[太宰治『故郷』] 唐突なラスト / 最後の一文におさめられた意味を問う。

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太宰治先生の「故郷」の最後の一文の意味をずっと考えています。

「ふと気がつくと、いつの間にか私の背後に、一ばん上の姉が、ひっそり坐っていた」

改行された唐突な表現、

いつの間にか背後に坐っているという不気味な印象、

なぜ一ばん上の姉が、背後に、ひっそり、いる、この表現が最後なのか。

どうも分からない..

伊東温泉に旅行しながら読み始めたので、

お風呂に浸かりながら、、その意味を深めていたら

ずいぶんと体がから疲れが出てきたような表情になっていたようです。

他のブログなどを拝見すると、あまり情報は出ていないですし

小説なので正解はないし

これといったクリアな説明材料がどうしても見当たらず。

こうした行為自体が不毛なのかもしれませんがやはり引っかかる。

一つの参考素材となったのが、牛頭様の解説ブログです。

旧来の「お葬式」の観点。

普段はなく、そこにだけあらわれる、

得も言われぬ行動様式に本編のヒントがあると説く。

特に氏の見立ての軸である[家督]という概念は

なるほど考えれば考えるほどに、本編の面白みに直結するものがある。

そこまで深く読み込んでいないのであれだけど、

氏の話を念頭に置いて読み返してゆくと、文章に、なんとなく、別の意味というか、

見方によってはそうとも取れる、というようなものがある。

特に最後からの数センテンス、私→次兄→長兄のセリフ回しにはそれを強く感じた。

普通に読むと以下のように読んでしまうと思う。

[自然に読んだら]

私:「お母さんは、どうしても、だめですか」

(お母さんのお体はいよいよ長くないものでしょうか)

次兄:「まあ、こんどは、むずかしいと思わねばいけない」

(今回は本当に厳しい状況だろう)

長兄:「困った、こんどは、困った」

(いよいよこうした時が来てしまったか)

でも、なんか不自然ですよね。

一つは次兄は、周りを見渡しながら、苦笑いしつつ答える、という動作。

その場にいる、誰もが母上の重篤な状態を共有しているのに

そこに沿うはずの「私」の「むずかしいでしょうか」というコメントが

誰かに聞こえてはならないような、苦笑いな扱いがなされるのか。

まぁ回復を祈りたいという体はあるのでしょうから一概に不自然ではないかもですが..

さらに、長兄の[こんどは、困った]というのが、全くの不自然。

今までは良くて、「こんど」は、何が、[困った]のか。

⇧この部分が引っかかりのテコになっているし解読のヒントにも思えます。

勝手な解決編

もうここ、ずっとそうした状態でお母上がおられるのですから、

状況に対して、何か急な展開があったはずはないに、何が困ったのだろう?という。

押し入れを開けたり閉めたり、どすんという座り方といい

苛立ち、焦りが前面に出た描かれ方をしている。

むしろ逆に、何か急な展開があったのだ、と理解のが自然だと。

そこに、氏のいう一つの語られていない内容につながります。

それはすなわち、「遺書の表出」です。

遺書の表出は、語られていないのではなく

文中のほぼ全ての人間には共有されているが

電報が入違いになり受け取れていないことが書かれていることから

主人公の「私」がその報を知らないがために

結果、「私」からは語ることができない、という面白い構成と読み解くことができるのです

氏の説に沿って、それを前提に言い換えてみたのが下記です。(あくまでも架空、想像)

[別の意味を念頭に読み替えたら]

私:「お母さんは、どうしても、だめですか」

(お母さんの遺書を変更してもらうのはどうしても難しいですか。=次兄の捉え方として。)

次兄:「まあ、こんどは、むずかしいと思わねばいけない」

(遺書として残っている以上、書き換えまでお願いするのは無理と思うしかない)

長兄:「困った、こんどは、困った」

(遺書が出てくるとは..これは本当に、困ったことになった。)

[読み替えを並べてみる]

私:お母さんの遺書を変更してもらうのはどうしても難しいですか。=次兄の捉え方として。

次兄:遺書として残っている以上、書き換えまでお願いするのは無理と思うしかない

長兄:遺書が出てくるとは..、これは本当に、困ったことになった。

こう書くと、本当にそのように思われてくるので、不思議です。

その後に、最後の一文。

「ふと気がつくと、いつの間にか私の背後に、一ばん上の姉が、ひっそり坐っていた」

つまり、兄弟の一番したから私→次兄→長兄…とコメントがあり

最後に、トップに、姉がいる。

しかも特に困った様子もなく、ひっそり、ただ、いる。ということの意味。

当初は長兄への家督相続が行われるものとばかり考えていた姉。

そこへの遺書の表出、法的な根拠としての突如の相続権の判明。

そして焦燥に駆られる兄弟に対して

何を言うこともできず、気づかない間のひっそりしたあり様..

この一文から、

当初は長兄へ引き継がれるはずであった家督が

遺書の表出によって[一ばん上の姉]に確定した

という状況が示されている。

そのひっくり返しをシニカルに描くとともに

重要なのは、その事情を主人公の「私」は知らず

意図した台詞が別の意味で捉えられながら、その中に巻きこまれていること。

そうしたさまざま異なった意図、目論み、状況を抱えた兄弟4人が

同じ間に、いる、という表現が、ある種の滑稽さを含んだものとなっている点、ではないかと。

小説、文学というものをあまりよく知らないので

クリアにならないもどかしさを感じていましたが

上記のように書き出してみると、そんな解釈というか、理解というかが進んだ気になります。

果たして、本当の答えはどこにあり、どんなものなのか..

全く知るよしもない、そうした世界に一瞬足をとられたことを

書いてみたくなったのでした。。

少しすっきりとしました。

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