小手指の人々に愛された西友小手指店が、この2023年10月31日にその幕を下ろします。
開店から40年以上にも、経つそうです。
僕は小手指に引っ越してきた人間で3年ほどしかたっていないわけで
地元の方からすると、僕などよりもっと当たり前だった存在だったんだな、
もっと思い出がたくさんあるんだな、ということを知りました。
お店には多くのメッセージカードが貼られていて、そんな名残惜しい地元の方の思いが伝わってきます。
建物も当時のもの、とはいえ地下一階、地上4階建プラス屋上?はそれこそちょっとしたデパートのようです。
ちなみに開店当時のコピーは「もう池袋まで行く必要はありません」だったらしいです。
4Fから上への階段はあるのだけど、今では出られなくなってたようです。
西城秀樹先生のCMのロケでは小手指店が使われていて、屋上の素材も見ることができます。
つまり西友といえば、小手指なのだということなのでしょう。
そして誰もが歌えるのがもうこの曲ですよね。サビに変拍子入っている気がして
スーパーの曲にしてはなかなかやるなぁと思ってました。マミーの数百倍…歌が上手い(個人的な感想)
楽天になってから聞けなくなってしまいましたが
僕はというと、仕事帰りには決まって西友地下の食品売り場で妻と待ち合わせしてその日の晩御飯を買い
二人で袋をぶら下げながら今日も疲れた疲れた言いながら、家までのみちを歩いた記憶です。
今日起こったことを、お互いにぶつぶつ文句まじりに話しながら
買い物袋ぶら下げて歩く時間、1日のルーティンを終えようという時間、あまりにも変哲のない、時間。
毎日のそうした時間に西友が含まれていたことに、今更に、気づくのでした。
クリスマスや年末年始には周りのスーパーがびっくりするくらい高額になるので
どうしても高くて買えないものは西友で買っていました。(それでも普段の何倍もしましたが)
西友にくればこれくらいで買えるんだと、、
ホッとした気持ちでたくさんカゴに乗せていたことを覚えています。
猫缶や猫砂を抱えて並んだレジ、日用品、年賀はがきをプリントした写真屋さん
部屋着を買った2階、LIBLOでも結構本を買っていたし。
コロナのピークはリモートも多くて
朝7時くらいに、散歩がてら朝ごはんにサバやアジの開きを買いに行ったら店員さんほとんどいなくて困ったり
日曜はのんびり1Fのドトールまで行ってコーヒーを、当たり前すぎる景色。
地元の方と見られる方々がリラックスして新聞やら本やらを広げている景色。
遠くへ出かけても帰りに買い物で必ず停めた地下駐車場、いつも同じ位置に停めてたその場所。
そんな当たり前だった景色がなくなるのかと思うと、急に寂しさが込み上げます。
誰かが書いていました、
「入口があるものには、出口がなければならない」と
時間を巻き戻せば、今の西友小手指店にも、開店した日があったんだなと。
キラキラした店内、装飾、当時のスタッフの皆さん、続々と来店するお客さん..
期待と喜びにあふれる空気の中でスタートした、そんな始まりの小手指店があったのだなと。
始まりは、走り出すだけで精一杯。終わることなんて全く考えない。
そうやって毎日、毎日、地元の方に、僕らに、当たり前を提供してくれてた。
そうして気がついたら、40年が経ってた。
何度も日が上り、春夏秋冬を経験し、その都度誰かの役に立ってきた小手指店だったと。
それでも、日が上れば沈むように、花が咲き、葉が落ちるように
人もうまれ、やがて、なくなるように
西友小手指店も、一つの出口を迎えるのだと。
思えば、あの建物の中で、僕はリラックスしていたし幾分、笑ってたような気がする。
辛い日々、日中の激しさの中で、西友に戻ることが一つの安堵の象徴だった気がする。
「こんなの売ってるんだね」「今日何する」「こっちの方が良いと思う」..そんな会話とか。
そんなことを考えながら最後の買い物を終えた時に、胸に込み上げるもので言葉が出なくなった。
ワインはマミーやヨークに及ばなかったけど
野菜は今でも佐藤先生のとこゼロファームが今でも一番我が家では新鮮な野菜。(今後はどこで手に入るんでしょうか?ご存知の方おられましたら是非教えて欲しいです)
困った時のお墨付きマーク、好物の手羽先や唐揚げが決まった位置に毎日あることが
そして西友小手指店が毎日そこにあることが、当たり前だったんだなぁと。
そんな思いで迎える、最終日は明後日10/31、18時。
閉店のタイミングには、居合わせたいなぁと思っています。
そして、40数年前の開店の日から、たくさん大変だったこともあっただろうお店の方々に
お疲れ様でしたということと、最後まで、ありがとうございましたと、心の中でも思いたいです。
僕の生きた中で二度とない思い出にまさか、西友の記憶が1シーンを占めることになるとは
今日の、今まで、考えたこともなかった。
いつかまた同じ地に、その記憶を引き継いで、新しく生まれ変わることを願っています。
毎日の家族との思い出に含まれてくれたこと、感謝しています。