当たり前こそありがたい

新年度初日から体調を壊してしまっておりましたが、ようやく復活してきました。

まだ咳が少し出ますが、先週までのような胸の苦しさとかはもうなくなってきました。

いつも思うのですが、健康ほどすばらしいものはないですよね。

生きているというそのこと自体の素晴らしさが健康であることだと思います。

食べること、眠ること、性的な活動..生きることの根本が

健康に集約されると思いました。何十回目だろう。

一番は食事とワインが楽しめなくなることです。

日々の食事、ワインが自分にはとても重要で

そこが健康を害すと、大きく影響を受けると。(仕事も何もかもそうですが)

今日、法事で出かけお寺さんから

「当たり前」という言葉は「ありがとう」の反対の言葉だと教わりました。

有り難し、あることが難しいということ、の反対ということみたいです。

私は、当たり前=ありがとうと読み替えてはどうかと思います。

当たり前だと思うのはあくまでも主体的であって、

それが「ありがたいことか」は、自分には感覚的にはわからないからです。

当たり前だと思えることこそ、実は有り難しなことなのでは

そうした視点が持てると良いかと思った次第です。

そう思うと、日々のあらゆる部分に「当たり前」があるわけです。

物が買えて、眠れる場所があって、熱いシャワーがあって、服が着られて、夜にでも灯りで本が読めて。

いとしのニャンコも元気でいることとか。

アウトバックが目の前の駐車場にあることとか。

ワインを楽しめるくらいお酒飲める体に産んでくれた父と母、家計にも感謝かもしれないし。

あげ出したらキリがなく出てきそうです。そういう意味で

自分の生活、周りのほとんどがありがたいことかもしれないなぁと

今これを書いていて思います。

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