『トニオ・クレエゲル』/トマス・マン (岩波)
孤独感と芸術家への憧憬
物語としては懐かしき時代からの、語り手の孤独感と芸術家への憧憬というものであまり新鮮みはないけれど、言ってみれば物語自体の面白さがどれほど大事かはひとそれぞれだろう、必ずしもどんでん返しが必要かどうかは疑問だ
此の作品から感じたことは、にわかに実力のありながら、その本道には達せられない人の、レッテルに憧れるどうしようもない弱さだった。
決して叶わないその現実
自分の過去を振り返って、一時期の活動を思い出すほどに、あくまでも形式、ラベルとしての芸術家を求める欲求の強さと、決して叶わないその現実が表現されていた。
として、どうして個人的にはとても好きな一冊となった。
周りと馴染めない、”話す言葉が違う”
とくに周りと馴染めない(というより”話す言葉が違う”)ことに僕も気づけばきっと生まれた頃からそういう気持ちだったと、今思えば感じる。要は周りに馴染めないのだ。集団行動主義やその(あまりに嘘のような)正しさを受け入れられないのだ。
それはいまでも全く、(そう、まったく)変わっていない。
自分の感性はいつまでも自分の感性
それ故に、僕は周囲の意見と自分の考えとの差異に常に(そう、常にだ)さらされてきた。でも結局(いまがその結局なのだろうか)自分の感性はいつまでも自分の感性であり知性や理性や常識、慣習の名のもとにも、決して変わらないように思われる。
トニオ・クレエゲルの気持ちが分かるとすれば、その自分を偽れない心持ちではないかと感じた。