ひょんなことから新潟長岡への旅をしてきました。
小千谷談判/慈眼寺
小千谷談判の場
河井継之助といえば最も有名なエピソードは[小千谷談判]だと思います。岩村精一郎ほか新政府軍への嘆願書と長岡藩の方針を伝えた此の会談の舞台[慈眼寺」です。日も暮れ懸かる夕方に、何とか間に合い会談の間を見学できました。
会談の間
会談の間は当時のまま丁寧に保存されている様子です。新政府軍が30分足らずで打ち切った面会に想いを馳せました。司馬さんの写真や薩摩からぶんどってきた大鍋なんかも展示されていて幕末フリークには、必訪の場所だと思います。
内覧は事前に電話を
ちなみに慈眼寺の小千谷会談の間は通常は鍵がかかっているため注意が必要です。内覧を希望する際は事前の電話予約か現地でおばさんにこえをかけて開けてもらう必要があります。時間も16時くらいで終わるので気をつけたいところです。
文化財展示の方針
しかしもっともこれは貴重な文化財の運営としてはやや閉鎖的な感は否めないかなぁ。文化財は守るだけでなく、広め、価値を共有、伝達してその意義があるわけでそのためには閉じるだけではどうかと。オープンにする姿勢、そのための維持対策を思考して考えていく必要を感じます。管理上、事情があるのかもしれませんけれど。
[長岡藩]で一献
地元のお店
地元のお酒や素材を愉しみたいと選んだのが長岡駅から数分の[長岡藩]です。風味は地元のこぢんまりとした居酒屋なので、特別感には向かないかもしれませんが味のあるお店です。(テレビでNHKが大音量でかかっているので特別感はありません。)
カウンタも4席ほどだし小上がりも3つ、かつ地元のお客が多いので訪問する場合は予約は必須です。地元おすすめの日本酒[吉乃川]や旬の刺身、串焼きなどを気を使わずに愉しめます。
スパイシーなつくねも日本酒にマッチします。マスターも人が良く、とても温かなムードで安心して過ごる時間でした。
榮涼寺/河井継之助の墓前へ
戦争に突入したリーダへの反感か
翌日は雨。朝イチで榮涼寺にある河合継之助のお墓をお参りへ。墓石に無数の傷や叩かれた痕などがあり、北越戦争へ突入したリーダへの反感、恨みが残っていることを感じました。
半藤さんの『もう一つの幕末史』からもその点は感じたけれど、いまでも地元の人々には継之助には一定の距離があるのかもしれません。
河井継之助記念館・ガトリング砲発射
今回の目玉は継之助記念館です。入り口から親切な受付にそこまでマニアでない自分は安心しました。二階建ての構成になっていて、幼少期から八十里までの継之助ワールドが学べます。
ガトリングをまわそう
メインはやはりガトリング砲です。飾り物かと思って居たら事務局の人から「どうぞまわしてみて」とのことで、よっしゃとばかりにグルングルンまわしてきました。戊辰戦争(長岡では北越戦争です)が更に深まった時間でした。
米百俵まつりの摂田屋光福寺での河井継之助出陣式です。
よろしければどうぞ。
会津、戊辰戦争の滝沢本陣など旅した記録です。よろしければどうぞ。
悠久山/長岡郷土資料館
まちからクルマで15分ほどの悠久山には天守閣の形の資料館があります。ここは継之助、五十六をふくめて長岡全体の歴史・文化が学べます。『武士の娘』の著者Etsu Sugimotoも長岡だったと知りました。(河合継之助と方針が合わなかった稲垣氏の娘なのでした。『武士の娘』という本が有名で此の機に読みました。)
かなりの出展数があるので、まともに見ていくと2-3時間、いや一日がすぐ経ってしまうくらいです。最上部は展望台になっていて長岡市が一望できます。(僕らの時は大雨でしたが・・)
最下階には雪国の生活について展示があってここが興味深かったです。今のようにハイテクが進む前、人はどのように雪の中で暮らしていたのかが理解できます。
悠久山公園自体も動物園があったり(猿がいる)ちょっとした散策には愉しい場所です。
長岡は興味深い教養の坩堝
連れの興味から訪れた長岡だったが予想外に深く愉しい興味を得ることができました。前回の村上郷思館からの新潟旅で、日本酒の味も覚えてきつつあります。旅は生きる喜びを沢山教えてくれます。