ここ一週間ほど体調を崩してしまいました。熱・喉の痛み・咳がひどく仕事も途切れ途切れ、それでも客先打ち合わせもあったりしたので無理もしつつ過ごした一週間でした。
休養をいただきながら読んだのが遠藤周作の『侍』と『沈黙』、通しで読んでしまった。何年か前から久々の再読。細かい箇所忘れているところあり新鮮。基督教弾圧の実態への恐怖、人とはここまで残忍になれるのかという思い。特に、元々キリシタンだった井上筑後守の拷問方法などへの冷徹さがどういった心理・考えからきているんだろう?という疑問につながった。
また、当時の基督教の多面性。布教先の民衆にとっては心の拠り所として、一方の教化を進めるラテン国家には侵略としての側面。国をあげ、宗教を梃子に国勢を拡大しようという考えを直視できた。トルデシリャス条約の異常性。ローマが世界をふた国で分割して良いっていう、、その発想も「野蛮」の一種だろうと想起した。
そもそもこうした歴史、経緯を知らずに世界と交わっていることの怖さ。教養、勉強は大人にこそ必要という考えを新たにした次第。日本で言えば伊達政宗の本当、禁教の元で、領内の布教促進しておきながら部下を見捨てる情けなさはあの伊達政宗のイメージを数百倍ダウンさせる致命的な行いだろうと。ただのビビり上司だったと。
そういったいろんな点から、なぜ、どの国が、どんな目論見で日本へやってきたのか、15-16世紀の国際背景を学び直したいと思ったし、歴史を世界俯瞰してみることの大事さも思い出すことができた。総じて図らずも自分の教養の少なさを知り興味関心が高まった時間だった。今後もこのテーマはしばらく自分の中で関心が強く続くのではないかと思っています。