【日本のユニークさを知る】『一外交官の見た明治維新』/アーネスト・サトウ(岩波文庫)

アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』

サトウといっても佐藤さんではない

れっきとした英国人である。スペルはsatow。当時から日本では馴染みの深い名前ということで、行く先々で多くの日本人と関わりがあったことが分かる。通訳として日本にやってきてからの幕末期の記録。やや詳細に過ぎるかもしれないが、そのなかで触れられる日本に対する客観的な視点から自国民として新たな発見に出会える一冊。幕末動乱の詳細資料という面と、外国人のみた日本文化という渡辺京二さんの『逝きし世の面影』に近い要素がある。

資料的価値

幕末期をsatowの立場から詳細に記録しているもので、資料的価値を重んじるマニアでない限り、全編が面白いかというと、そうではない。

日本に対する客観的視点

そんななかで際立ったのが、日本の習慣に対する視点。自国のことは自国民が一番知っているということの嘘が分かる。自分で自分のことが殆ど分からないのと同じなのだ。

日本という国について何が特徴的なのか。自国民が当たり前だと思っていることに、意外に独自性があったりすることを知る。例えば旅館の費用には食事やお酒以外は含まれるのが普通であるが、欧州では薪代、ろうそく代、風呂代などが別途必要なのだという。自国のことを知りたければ他国の人の書いた本を読む、と古い誰かが書いていたような。

会社組織も同じだ。自社にいるとその風習が当然になる。慣性が働いてくる。組織の鮮度を保つには、そんなふうに新鮮で客観的で世の中の普通的な視点を取り入れる工夫が必要なのかもしれない。

西郷や勝などとの、実際の対峙の記録

人物が描かれるのでなくサトウと相対峙して存在する面白さ。西郷や勝、ひいては孝明天皇との会話まで残っている。司馬遼太郎の描く歴史小説でなく本人の記録という意味で、これまで歴史上の人物という肖像だった人々がリアルに浮かび上がる。フィクションでなく本人が会っているのだ。その上での人物描写に否が応でも引き込まれる。

日本人が語らない日本を知る

幕末期から熱海は温暖なリゾーティヴだったが、旅館は二軒しかなかったという。本書校了時でも10軒ほどということで当時の風景を想像しいかにものんびりとした日本を思い描く。他、横浜、江戸、新潟、福井、静岡、等々、とにかく船や駕篭で日本中を縦横無尽に行き来するsatowの行く先々での日本の客観的描写が面白い。
雑煮は元旦は一杯、二日は二杯、三日は三杯食べるのであると書いてある・・違う気がするが・・。
日本人は互いに相手を横目で気にしながらお辞儀をする。
関所の番人の形式主義。今の役人、いや組織的なルール至上主義に通じる柔軟性の欠落ととにかく型にハマるだけの創造性のなさが今でも変わってないと知る。

日本を愛したサトウ

最終章に帰国するシーンが描かれているが、日本で幸福な時を過ごした、と明記してある。6年半という長い年月、今のように鹿児島日帰りなんかできない時代に、祖国を離れて暮らすことのタフさを思った。しかも幕末動乱の世である。すごい人だと思った。ごく控えめに言っても。

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