【雨は僕を生かしている】雨がホッとする理由

梅雨/雨/憂鬱/過ごし方/旅/

雨だと、ホッとする。

雨が降るとイヤな気持ちになるというのが一般的な感覚かと思います。特に月曜日の雨模様はblue monday的な歌にもなっているほど救いのない現象だと思われているようです。(僕も月曜はそう感じます)
ただ僕はいつも雨が降ると、なぜかホッとします。別に花粉症とかそう云うものではありません。気持ち的にホッとするのです。長い間その理由を考えてきたのですがよくわからずにいましたが、最近思うのは、それは自分を生かしてくれるものだからではないかということです。

雨は作れない

水は水道から出てきますが、水自体を、人間が作ることはできません。当たり前過ぎて、そのありがたみを忘れているのだと思います。ただ、ヒトの細胞レベルでは多分、その貴重さや有り難みが記憶されているのではないかと思います。雨は天が与えてくれる力水なのでしょう。それを待ち望んだ先祖達の記憶が今の自分にも、どこかに僅かに残っているのではないかと思います。

雨は排水溝に捨てるものか

いつから雨を忌み嫌うようになったのでしょうか。僕が見ている風景は、雨がアスファルトを叩いてひたすら濡らしている。その水はまとまって排水溝に吸い込まれてゆく。本当は、雨はそのまま大地にしみこみ、木々や植物のいのちとなり酸素の元となり人間の生命を保つ元になるものだと思いますが、その地面は今や殆どがアスファルトで覆いつくされているということに気づきました。それは疑いもなく当然でした今までは。でも、雨になぜかホッとするということを突き詰めると、自分が大地から恵まれて生きているということにどうしても繋がってくるわけです。

お金で雨を買う

生きていくために必要な水は、そして自分たちではつくれない水は、天から無償でふってくるものです。お金があっても水がなければそれを買うことはできないですね人工的に作れないのだし。(此の点は他の全ての食材についても云えますが)そう考えたら、自然こそ自分を生かしている源だというおもいが、ますます強くなってくるわけです。

お金を貯めれば生きていられる幻想

日々なんとかしてお金を作って、それをためて、生きている気になっていないかと自問自答します。そしてその生きる元のひとつが[雨]とは、なんとありふれたものなのでしょう。それほど、地球の動き、めぐみについて無頓着になってしまったのがいまの都会人ではないかと思います。自分もその一人。

雨の曲は好きなのが多いです

雨の曲は沢山好きなものがあります。特に荒井由実の「雨のステイション」は間違いなく上位にきますし、一番はもうLED ZEPPELINの「Rain Song」ですね。ハードロックというものを越えてますね、殆ど印象派のプログレのようで。高校時代からずっと好きですね。これは学校に行かずに部屋で煙草をくゆらせつつ雨を眺めながら、聴いていたのを思い出します。雨の日は勉強よりも、雨を見ていることの方が僕には大事に思えました。それは今でも変わっていません。雨の日は、一人でいることが、不自然に感じられないからかもしれません。何かと人とつるんで動くのが好きではないものですから。
雨の曲についての記事もよろしければどうぞ。Xは除いています。少し前のアップなので、今ならもう少し別なものもありますが。

[:ja]【梅雨】雨の日をリラックスタイムに変える必聴曲7選![:en]【梅雨】雨の日をリラックスタイムに変える必聴の名曲7選![:]

飯島真理さんの「セシールの雨傘」やキリンジ「雨は毛布のように」、森高さんの「雨」、冨田lab「アタタカイ雨」なんかもクルマでは必ず聴いていますが、できればもっと一人の感覚、静かで時間がゆっくり過ぎるような感覚がいいですね。その意味でZEPやPFMの「old rain」、空気公団の「雨音が聞こえる」なんかの雰囲気が好き。

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