人のカラダが時速800キロで動く
移動し易くなったということについて思うこと、それは人間のからだはそんな速度にかなうようにはできていないのではということです。日頃新幹線や飛行機に乗る機会多いですね、一週間に新幹線なら2回とか。飛行機も毎週一往復くらいはのっているわけですが、そこで思うことは、とにかく疲れるということです。なぜだろう、”快適な移動空間”、”空の旅”とかいうけれどもぼくにとっては一刻も早く終了してほしい時間でしかないのですね。
普通になってしまえば飽きる
此の点で云いたいことはふたつあって、ひとつはそもそも人間の体はそこまでの速度で移動することを想定していない。もうひとつは、そういったある種のハイテクノロジックな移動手段でも、それが普通のことになってしまえば”飽きちゃう”ということです。そうですよね、子供の頃はバスや電車がハイテンションな対象となっていたはずですが、いまでは乗りたくもないのに乗っている。周りもそう、全員がそこにエキサイティングなものなど感じることもないわけです。
生態として想定してない
一つ目について云えば、新幹線なら時速300キロくらい(新大阪まではもう少し低速かな)、飛行機ならおそらく800キロくらいのスピードで移動しているわけです。そんな速度で移動に此の軟弱な自然生態であるヒトが耐えられるわけがないのです。そこに着眼しているひとっていますか。結構同じような意見持ってる人もいるのではないでしょうか。そんな速く動くこと想定してないわ、ってことです。
憧れてた時代
もうひとつは、そんなの乗り物を、でも最初はやっぱりプレミアム感がありましたね、滅多に乗れないものですから。新幹線なんて有楽町やら武蔵小杉やらでちらっと見ると、ああいうの乗れる人ってどんな仕事してるんだろう?なんて思って居ましたし。それで云ったら飛行機なんて、夢のような世界でしたね。頑張ってそれでもせいぜいSKYに乗って沖縄に行ったりとか。滅多にない機会だからこその貴重感というものがあるのだと思いました。
手にしたいま
それがいまでは飽きるほどの行程で利用しているわけです。これは本心から云うのですが、できればもういいです、本当に(笑)。正直、疲れますし、変な話、閉じ込められているという事への開放欲求のほうが強いですね。新幹線も難しいですが、飛行機なんて不可能ですから、その点で飛び立つ前には本当に憂鬱になります。自室や愛猫やそういった地に着いた自分の周りのものとの距離があまりに大きくなることに、絶望的な気持ちになります。これはなんというか狙って書いているわけではなく本当にそういう風に思うのです。毎週のように、飛行機に乗るようになると、それは貴重なものというよりも自分を縛るものに変わってくるのです。その不自由さや制限性に対してやっぱりagainstな気持ちになってくるのです。
不足は結局は、満たされない
なので、憧れとかやりたいこととか、もっというとお金で買えることへの願望というのは慣れてしまうとそれが普通になるだけでなくて、不足とかagainstな気持ちが際立ってくるのです。不足は常に満たされることはないですね。時々、本当にたまに満たされる非日常ということが貴重であって、それを普通にしたとたん、またほかに非日常が必要になるのですから。そういう意味で、最近は[足る]ということを良く考えています。満足というものは意外に手に入らないのです簡単には。というよりも永遠に。
ほか、旅や生きることを軸に記事をかいています。よろしければどうぞ。
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