360度評価とは上司だけでなく周囲の同僚、部下などからも評価を得ることで多視点的なものに使用という意図で行われる人事評価です。360度評価は最近は主流になってきているかもしれません。ホリエモンさんのライブドア時代くらいが割に先進的だった時期だったように思いますが。ただ最近、何となく違和感を持ち始めたので記事に残しておきます。
360度評価の目的はなにか
360度評価の目的とはなんでしょうか。一人の評価者からは見えてこない弱点の洗い出し、ということでしょうかね。またはその組織内にいるひとたち(つまりは評価者)の求める人物像との距離を縮めるということでしょうか?おそらくは、やはり上司ひとりではわかりづらい弱点を提示することでより改善に深みを持たせることなのではないかと思います。
具体的にどのケース?
気になるのは、評価されたことが、具体的にどの案件のどんな動きが、その評価に該当したかまで分からず、漠然としています。例えば、”あなたは保守的である”という評価。問いの文面は本当はもっと長い文章になっていますが、要は柔軟性があるかないかを問う評価軸。此の評価について具体的にどんなケースをどう変えていたら良かったか、までは分からないのです。
何をどう変えたら改善になるのか
ということは、これからは柔軟な人間になるぞ!と変えていこうとしたときに、具体的に何をどう変えたら、つまり今度のケースはこうだったが次には、それをこう変えていければよい、ということが分からない。まま時間が経ってゆく。
どんな点が此の場合、保守的か、柔軟かの認識が千差万別なのです。求めているものがあるとしたら尚更、そこに乖離が出ます。当然です、あくまで自分で振り返りその具体的な部分を”想像して”直すんだから。
目的である[改善]が得られるのかどうか、僕にはわかりません。
僕の評価の例です(キツいですが)
ちなみに僕の洗い出された弱点です。結構キツいですね…お前はここにいる価値なんぞないんだと言わんばかりですからね..。
[見えてきた弱点]
・保守的
・問題がわかっていない
・自分を開示しない
(なにが僕の自己だとわかるのでしょうか..)
・だれかに助けられないとだめ
(チームとはそう云うものかと…)
・ストレス耐性がない
(すみません、ストレスに耐える価値を認めていないものですから)
・指導力がない
(すみません。)
・反省性ない
(本当にすみませんとしか)
評価=具体的なフィードかどうか。
全体的なイメージとしては十分に把握できたし、自分としても納得もする部分が多いですが。問題は単なるイメージに留まってしまっていて具体性がない点なのです、重ねて云いますが。
例えばどんなシーン?それも評価の対象となっているこの半期の?。
それは自分で想像するしかない。そこが各人にまかされてしまう状態では無意味だしもっと悪い方向に向かっていくこともありそうです。個々人に任されてるのですから。
では具体的にどのようなシーン(例えば此の半期で)をどう変えれば良いか、具体的に深めてゆくためには。それぞれに具体的なケースが(たとえば自由記述で)あれば非常に有意義です。そのようなテンプレートというかシステムもあるのかもしれません。もし、それもない状態では、”何となく”柔軟性がない、保守的だ、自分を開示しない、という一般イメージだけが伝えられていて、「で、何を、どうすれば??」となります。求めるものが開示されていない中で被評価者の弱点が洗い出されるという、結構残酷な施策ではないかな、、と感じます。
単なる弱さ指摘/日本特有のマイナス指向
対象者に漠然と弱さを伝えながらその具体的なケースが共有できないのでは、改善方針も漠然としてしまい結局何の役にも立たない。というか弱さのクローズアップで終わるように感じられます。
あなたにはそんな傾向があります。という程度の情報に留まっていて、改善を目的とする場合には、もっと突っ込んだケースごとでのフィードを含めて行う方が良いです。つまり半期に一回のではなく、月一くらいでやった方が良いですね。それも接点のある関係するメンバー(と経営陣、管理職。要は上司)で。
その結果、本人の納得度も大幅に上がるし改善ポイントも具体的に明確になるし、組織が求めるもの、本人が改善する方向の双方向、つまり全体で良い方向にむかうのではないでしょうか。
接点のない評価者は評価者足りうるのか
そうなると、実際のケースを知らない評価者を置くことの意義も考えたくなります。ひと言も話したこともない人が(そして此の半期全般で社にいもしなかった方に)どのように自分の保守性や開示性のなさを熟知し、指摘できるでしょうか。具体的なケースが想定されずに、相手を、しかも接点のない人間が評価というなのイメージ選別なされる点に一般的な違和感を感じます。