員数主義 = 形式、表面主義
”体(てい)”の論理。現実的にどれだけ実効的なものかが問われない形式主義を知りました。いまでもよくあります。
組織のなかの声の大きさ
組織の向かう方向性やゴールの共有が声の大きい人の意見に引っ張られすぎていないかと考えましたね。
個々の意見が、内容はともかくも、まずは表現する事自体、社会(会社)に認められる、受け止められる事ではないかと思います。もっと云えばそれは当然の話で認める認めないという事ではないとも思いますが。ではどうすれば達成できるかと。思うにその一つはしっかり聞くことかと思われました。何を言っても受け入れられない場では、人は、何も云わなくなるだろうと思います。これは環境のせいにしているのではないですが、環境にも一因があろうかと思います。もちろんその中でも主張ができる人は問題ありませんが。人が何か話したらきちんと聞く、それだけで結構変わってくると思います。
歴史の記述は表面的
その事柄の実際がどのようなものだったのか、教科書レベルでは殆ど分かりませんね。その場にいた、経験した人の話を読むことは大きな滋養になります。イメージし易い分、しっかり頭に入ってくるような気がします。一番は具体性、想像し易いところですね。文字ヅラだけの出来事としての歴史把握から踏み込むことの意義を知りました。
組織を学ぶ
太平洋戦争の歴史はある種、隔絶されていてるし、終わったこと、断絶した記憶のように扱われています。それはそれで一つの捉え方かと思いますが。ただ、探っていくと日本人の作る組織を考えさせられるいい素材が沢山あります。
責任者が責任をとらない組織、隠蔽する組織、ないものをあるとする組織、価値観を強制する組織、命令責任の曖昧な組織..今でもそのまま応用できる組織の弱さの素材が沢山。太平洋戦争時期の日本を学ぶことは現在の組織を考えるうえで非常に示唆に富んでいます。
此の点を学ぶことは多様性を標榜する社会の中では特に意義深いですね。価値観や考え方のバリエーションをその正否問わず一旦は認める(そうでない社会があるだろうか、此の世界に)ものであり、それを排斥し虚構の価値観の強制で塗り固めた組織のあり方を学ぶに、絶好の材料だと思います。同じこと繰り返してすみません。
太平洋戦争期の軍部組織を学ぶことが面白いのは、日本的な強圧的組織のモデルを見る思いがするからです。悲惨な歴史を繰り返さないためにも…のような思いよりも、精神主義、全体主義、価値観の絶対化、年功序列、学歴主義・・どれも[実質]から乖離した要素のみで、表面上にも組織は動きうるのだという危機感から、興味を持っています。
★ 本物の玉音盤がみらました。よろしければどうぞ。