【待つスキルが人を優しくする】『シッダールタ』(ヘッセ/新潮)

ヘッセ/シッダールタ/感想/ドイツ文学/

現在が全て

時間は存在しない、「いつか」という事が既にたとえであるとし、今が全てである事が説かれる一冊です。(ヘッセマニアからしたら正解は違うのかもしれないけど)

時間の価値観

考えさせられたのは時間の価値感でした。当然今の社会は時間の概念をなくしては成り立たないわけで、そこと一線を画したところでの、自分の生きる時間という観点で考えました。

早いことへの絶対視

その一番のポイントは、早い事の絶対的な価値感への疑問です。とにかく数値的に測定できる絶好の基準が時間。それがプラスになれば良いという価値。それを加速させる物事は概ね良いものとされているし、ある面では必要なものと思いますけれど。

自分の時間にまで侵食してないか

重要なのは、自分の時間を生きる時間にまでその価値感が侵食してきていないか、という問いだったわけです。

一方では、待つ事がネガティヴなことになっていることを感じました。それはあまり優しくない事に、思えます。一言で言えば、意識的にもっとゆっくり時間を捉えなくてはいけない気がします。

[急いては事を仕損じる][急がば回れ]という故事もありますし、今こそそこに立ち戻る時ではないかと思います。

世の中のほとんどの良いものは、時間をかけて作られますよね。ワインも、料理の素材も(野菜、肉、チーズ)そして人間もきっとそうではないでしょうか。

待てない人の作る社会は優しくない

その自然な時間感覚を忘れ、待てなくなっている人々が作る社会のなんと優しさに欠落したことかと感じます。待てることはきっとスキルだと思うのです。ビジネススキルかどうかはわからないけれど、人としての必須のスキルだろうと思います。それは相手を思う優しさなのではないかと。そして、そうしたことを今の今までほとんど真逆を行ってたのが自分でした。

スピードは制御するスキル

当然全部が待って、待たせて、では立ち行かないから、必要なのはスピードを制御できるスキルだろうと思います。例えるなら、スノーボードやスキーかな、速度出すのは簡単だけれど、必要な瞬間にしっかりブレーキできなければ単なる暴走になります。生きるスピードも同じですね、必要な場合に、必要な速度感を出せること。必要な場合に、必要な減速ができること。一人ひとりが実践することで、もしかしたら、社会が変わってくるかもしれないなと思います。

人は数値でなく、自然でできている

人は生き物で、実は、ほとんどが自然でできてます。時々、高速道路で豚や牛なんかの動物がトラックで運ばれているのを見て、「ああやって運ばれてるんだ..!]という驚きとともに、その荷台が丸ノ内線よりもスペースのある空間だったりして、そんな空間で運ばれているのを見て、人って何だろう?そういうふうに思う事があります。


人は生き物で、実は、ほとんどが自然できてます。

そこに一旦、戻ってみると、もっと優しくなれる気がしています。

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