【河井継之助終焉の地】只見の継之助記念館へ

河井継之助/只見/墓/八十里越

平成最後の日

2019年4月30日平成最後の日、河井継之助の終焉の地である、福島県南会津郡只見町へ出かけてきました。

雪どけの国道252号

開通直後の252号
(県境付近かな/まわり山しかない)

単純に現地へ行くのではなく、負傷した継之助が運ばれたルートに近いところを通ってゆきたく、小出ICから252号を会津へ向けてひた走るルート。途中、神湯温泉や須原、魚沼大原といったスキー場のそばを通ってなおも進んでゆくと、あたりは雪をかぶった山々の連なりに。クルマですらハードなこうした道を、よく戸板に乗せた継之助を運んで人力で歩いて行けたものだと感動しました。

只見町塩沢の継之助記念館

只見町塩沢の河井継之助記念館を観覧。冬季は閉鎖していて、ちょうど一週間くらい前に再開したばかりのタイミングでした。GWでも訪問客はそこまで多くなくのんびりと見ることができます。

継之助の療養の間が移築

継之助が療養のため横たわっていた間が今でも。
袴や備品も綺麗な形で残されていました。

内容的には一定程度の知識のある方には半分ほどは既知のものかと思いますが、見ものは継之助の療養の間が移築されていることでしょうか。現在は水の底に沈んでいるらしき継之助の最後の場所、矢沢宗益の家からあまり援助も無いないか、なんとか移設をしたようで、その間を見ることができました。

なんと継之助が使っていた毛布や軟膏のケースまで!
(ボロボロですがリアル)

そのほかにも茶器や薬缶、袴などの備品も残されていて当時の空気が底にあるような雰囲気。しかも間近で見ることができます。

終焉の地

記念館の裏には、継之助が荼毘に付された後、村の人々が、細々とした遺骨を埋葬したとされる墓標が残っています。長岡の栄涼寺には機会のあるごとにお参りしていましたが、終焉の地、その場所にお参りできて灌漑深いものがありました。なんと長岡が遠いことか…

司馬さんは『峠』出版後に訪問

また『峠』を書いた司馬遼太郎さんもこの地を訪れています。が、実際は交通機関の関係で出版後だったようです。そのため、『峠』の最後の只見のくだりは資料とイメージで描かれたようです。その司馬さんが継之助の最後の地(今は川の下に没した)を眺めたという場所も残っていました。

訪問時の模様をアップしています。

来年にはいよいよ『峠』が映画化される予定ですので幾分、観光客が訪れることになるかもしれません。

ちなみに長岡の継之助記念館館長の稲川明雄先生の動画を見ていると『峠』は小千谷の方の榎峠?朝日峠?という話で(そこに司馬さんの石碑も残ってる)、僕はてっきり八十里越の峠のイメージがありましたがどうやら異なるようです。むしろ後者の方がしっくりくるように思いますけれども。。

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