依頼一つに品格や礼節が見える
立場という概念があります。年齢、上司部下、販社と請元…その内容はどうあれ、関係性は平等であることを念頭に置いている方が結果うまくいきます。依頼の仕方一つで、そこに品格や礼節のあるなしが、無意識に出てしまうからです。
身勝手な振る舞い
夏前にやり取りをしていた販売会社へ、状況を聞くメールをお送りしたきり返事がなく、、一月以上経った昨日今日に立て続けに依頼メールが放り込まれてきた、、そう感じました。そう感じさせたらいけないんだなぁと、いい勉強になったです。社会は人と人とのつながりや、極論したら気持ちで動いているようなもの。形式的で投げやりな(と相手に思われてしまうような)やり方をしていれば、レスポンスも適当なもの、投げやりなものにしかならない。
誠意の無さは見透かされる
あとほど電話連絡がきましたが、あくまでも言い訳が先に立つような口ぶり、別にそう細かい正しさ間違いに突っ込んでるものではないのにひたすら誠意のなさ、自分は悪くない感が前面に出てしまうことでその人への信頼、安心、ゆるしみたいな要素が全部なくなってしまいます。そいうことに気づきました。
そうしたことを久しぶりに感じたので書いておきました。その事象自体はともかく、得るところが大きかったので。そうしてはいけないんだなぁといういい素材になったので良かったかもしれません。
一晩おいて怒りメールを回避
あとはその件に対して、怒りに任せたメールを送りそうになったのを一晩置いてから連絡してみて、やっぱりそうして良かったと。それでもやや嫌味気味に優しく棘を含ませた内容になってしまいましたが、まだ良かったと。この辺りは怒りのコントロールが少しできてきたかなぁ。いくら自分に正義があると見えても、振る舞いでそれが台無しになるからこれからも注意していこう。ただし伝えないのとは別。怒りに任せた振る舞いをすることと、自分の考えをきちんと伝えることは全く別であり、後者はきちんと出来なくてはならない。そこが難しいのだけれどね。