2度目の緊急事態宣言
2021年1月7日(木)に2度目の緊急事態宣言が出されましたが、実効性が殆どなくてほぼ効果ないと見通しております。今、東京が概ね2000人超えるくらいですが、一月後、半年後にはどうなっているのでしょう?そのときに見返せるように少し書いておきたくなりました。
協力を期待だけで乗り越えられるか
もちろん外出の自粛や飲食店の利用については協力をしてゆく気持ちですが、全体としてはほぼ強制力もなく各自の生活上の事情によって、「しなくても良いならしない」が選べる状態なのが問題だと感じました。
僕もしたいことはたくさんあるので、できればしたいのですが。特にこの冬は雪も多くて、雪不足だった昨年の反動もあり好きなスノボにも沢山行きたかった。でも一旦は協力をしないとと思いなんとか思いとどまっています。
取り返しの効く事案なら良いけど
それも個人の判断の尊重であれば県外移動も許されるわけで、結局誰がどこまで何をしたら良いかちょっと、不明です。善意で対応できる事案で、間違っても取り返しの効く事案なら良いと思うのですが、果たしてそのどちらもNOなのではないでしょうか。
私は規則は嫌いなのでできれば善意、協力で対応できることが一番かなと思いますが、今回は事態の深刻化、回復可能ポイント(ポイント・オブ・ノー・リターン?半藤さんが仰っていたやつ)を超えて来ていると思うため、多少の制限の強制も、期間限定であれば耐えなくてはならないように感じます。
リーダのしょっぱさ。緊急事態”挨拶”してくるほど..
そして何よりもリーダのしょっぱさが際立ってしまいました。緊急事態宣言ならぬ「緊急事態挨拶」をされても誰も協力したくないですね。あの素材は世紀に残る情けない「挨拶」でありました。
政府の中には大変な尽力をされているかたが多いはずですが、自分には届いてこないです。
今ならまだ間に合うのでしょうか?ポイント・オブ・ノー・リターンを超えて来てないでしょうか?
誰に向かって仕事してるのか
誰のせい、彼のせいをやっている場合ではないですよね。それでは太平洋戦争中の旧帝国陸海軍、大本営と同じではないでしょうか。
そんなことを考えていました。この先どうなるのだろう?
本当は今日は越後に出かけて行きたかった。自分もいつコロナにかかって突然消えてしまうかもと思うと、色々考えます。やりたいことできるときにしておかなければと思う気持ちとか。
そんなこと、残しておきたくなったので書いておきました。本来のブログの趣旨とは異なるのですが、、。いつ書けなくなるかもしれないし。
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