【夏休みは自分から取る】与えられることから獲得することへ

連休/夏休み/お出かけ/自分で獲得しろ!
7月も後半に入って、夏休みムードが高まってきました。しかし此の酷暑はなんでしょう。僕が子どもの頃は30度を超えたらニュースで真夏日だ、なんて云って大騒ぎしていたのに、いまでは40度を越えるのも割に普通になりつつあります。

夏嫌い

そんな意味で、僕はいつからか夏が嫌いになってしまいました。できるだけ早く、終わってほしい。いつかまでは、その暑さの中で、夏的なことを愉しんでいた時もありました。でも此の暑さでは、外に出ることもままなりません。命に関わるような天候のなか、周りが一生懸命ななか、敢えてどこかに出掛けようと云う気になりませんし、それで安らぎが得られるとも思えず。

したいことのために休みを取る

よく思うのですが、人々は休みだからどこかに行かねば、と考えるようですね。そうではなく、こういうことをしたいからここで休みを取る、という考え方もあります。少なくとも僕はそう思って生きている。
だからサミットで安売りをしていてもいっさい関わりなし、欲しいもの、必要なものを買うだけであって、それが安いかどうかは、つまり休みだからどこかに行かなくてはならないという脅迫観念から自由になりたいのです。

休みだから何かしなくては、ではない

そんな意味で、連休には基本的にどこにも行きません。連休になると何かしなくては、安いから買っておかなくては、と考えるレベルではない。したいときにそれをするために休みをとりにいく。でなければいつ自分の時間を主体的に獲得してゆけるのだろう、と思うからです。自分で自分の時間を作りにいくことができるかどうかは、これからの生きるフィールドでは得に重要ではないかと(勝手に)思っていますなぜならその裏返しに結果を出すこと、存在感を証明することを求められるから。与えられるものだけにすがるものは、きっと積極的な結果の出し方や存在感の出し方をしていないのではないかと思います。そうでないかもしれませんが。少なくとも僕はそう思う。

人はもっと自由

もっと人は、自由なのですよ。そこは社会にでても変わらないのです。自分の主体性、既存概念への疑問の投げかけ、自身で思考すること。周りはどうか知らないけれども、自分はこう考える、こういう指針で行動するというものを持っておきたいのです。

自分を出せる大人に

ということで、夏を有意義に過ごすコツ。それは自分のタイミングで休みを取ること。したいことのために、必要なだけ休みを取ることです。これができない人に伝えたいのです、そうしようと試したこともないのではないですか?と。もっと自分を出していきましょう。いい大人なのですから、人と違っていいのです。地球上の人々がこれだけいるのですから、考え方は千差万別ではないでしょうか?[万]よりもっとヴァリエイティヴでしょう。
いまは、もう子どもではないのです。それぞれ、事情や考え方があるはずです。それをもつ、それを表現する自由をもっと声高に叫びたい。認められるかどうかは、他人の、相手の、周りの、自分のしらない誰かの問題です。自分はあくまでもその主張を表現できるかどうかではないですか。きわめてシンプルなことかもしれません、きわどい角度から、それでもゴールネットを狙うシュートのように、自分の角度で、自分のタイミングで、それをしていいのです。正しいかどうかは誰かが決める。そもそも正しくなくてはいけないと、誰が決めたのか。そこへの挑戦は生きる上での基本的なチャレンジだと思います。それもしないで、何かの、だれかのせいにしていては、結局、ヒトマカセのライフになると思います。もっと、積極的にゴールを狙っていい。
大人こそ、自分自身のことを表現し、周りと異なっても、自分のしたいことを社会的な方法で表現できなくてはいけない、そう自分に言い聞かせています。それが大人というものではないかと、改めて、自分に考えさせる。なかなか難しいのは承知の上ですが..(笑)

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