*この記事はインプレッションやブラウジングを復活させる方法については書かれていません。
期待してアップするも..
何日かかけて素材を用意して、finalcutで編集して、サムネイルを考え抜いて
期待と共にさあ、Youtubeへアップ、、数時間して、視聴回数が12回くらい..
そういう経験、僕はよくします。
どうしてか、再生回数を気にてしまう心理。
再生回数が伸びないと、何か、ダメな気がしますよね。
数値のプラスがそのまま価値として感じられる心理って不思議です。
特に、お金や時間も似ているかと思いますが
同じ1000回でも、100回から増えに増えてその値となったときには嬉しいけれど
6000回から急に減って、1000になった場合には残念。
なぜだ!?という気持ちになります。
それがインプレッションの急激な低下にも当てはまるようです。
*⇩ある日突然インプレッション、ブラウジングされなくなってしまったグラフです。
“誰も見ていない”代物に対する労力
そうした悩みを続けていると、動画作れば作るほどに、なんとなく、つまんなくなってしまう。
誰も見てくれないのに、どうしてこんな一生懸命作って何やってんだろ?
うっすらと期待までしてしまう自分が、馬鹿げた存在に思えてくることもあるかもしれません。
貴重な休日、それなら遠くに遊びに行くとか本を読むとか、ビールやワインでも飲んでいた方が楽しい。
視聴回数の持つ意味ってなんだ
そこで、そもそも多くの回数はどういった意味を持つのかという問いを持ってみます。
これは仕事とお給料の考え方と似ています。
視聴回数は報酬と見立てられます。当然多い方が、良い。と思う。
ところが、多い少ないは、比較してこそわかるものだということです。
ある数値が多いか少ないかは、どこかに基準があって初めて、そこに比べての多い少ないがわかる。
お給料でも、誰かの額を基準として考えると、自分は少なく、または多く感じる。
そんな中、少ない金額でシンプルに、足るを知ることで生きる方々もいますよね。
何が言いたいのかというと自分の好きな動画を作ってアップしているなら
たとえ回数が一般的なレベルに比較して少数だったとしてもですよ
熱心に共感いただける方がいる限りその制作には価値があるのです。
何もかも忘れて打ち込めるものは、歳を重ねるごとに少なくなってくる。ない人もいる。
そんな中で、動画を通して伝えたいことがあったり
制作そのものの技術ですよね、finalcutやPremierなどを扱う中で得ることのできるもの。
単純な回数だけで、自分の制作物を評価せず
その周辺にあるメリットまで視野を広げて取り組んでいきたい、僕はそう思います。
もちろんその中で回数やらが増えればありがたいことですが
では、全く再生されないかというとそうではない。
視聴回数「ゼロ」ではない
比較すれば少ないかもしれないけれども貴重な数十回の視聴があるわけで、それはゼロ回ではない。
例えばライブを行うとして、何万人も集められればスターかもしれないけれど
それでも20人、30人の視聴は、実地で考えたら相当ありがたいことと思えます。
だから貴重な動画制作との出会いを回数という指標のみで判断しないでほしいと思います。
いろんな方々の視点が共有されることでより豊かな社会になってゆくことを考えれば
そうした制作者が増えてゆくことが望ましいんだろうと思いますし
自分も、回数に一喜一憂してしまうところもありますが、
その上で、以上に書いたような取り組みができればと思います。
ですので回数が気になるみなさまだと思いますが
一旦立ち止まり、長い視点で自分と動画制作というものを考えてみるのもよかなぁ、という願いです。