フランスのアランが20世紀初頭に表現した、プロポと呼ばれる一話2ページのエッセイをまとめた一冊です。怒りの害性、行動がもたらすメリットを軸に幸せを掴むヒントがぎっしり詰まっている。特に、自分が上機嫌になることでそのポジティブが広がってゆく、不機嫌はそのマイナスを導くとする論旨が好きでした。なぜなら、自分は間逆なことをしていたから。自分には一生ものの一冊。岩波でも9割の日本語が理解できるし2ページ半で一つが読み切れるのもいいですね。
上機嫌であること
幸福とは、上機嫌にあることで自らたぐり寄せるものらしいです。不機嫌で知った顔の理屈好き(本書にそうある)には幾ら待っても幸福はこないと知ることができました。難しいのは上機嫌とは何かということ。お客様先でのトーンは表面的には上機嫌かもしれないけれど、実の自分は必ずしもそうでないかと。ただ、本当の上機嫌を常にキープすることは不可能なのだから、そういった表現型上機嫌でも十分かと思えます。そのうちに中身も気づいたら、割に上機嫌に変わってゆくかもしれない。40歳を超えて思考も動作も固くなってゆく世代に入ってきた中で、そのきづきは大きいと感じました。
怒りの有害性
様々云われる怒りの有害性が既に語られています(それを云ったらストア派まで遡れるから全然新しいのですが)。イライラは自分が発する言葉から更に火がついてそれ自体でどんどん強化される仕組み。そこに対しては無視する、離れる、やり過ごす、そういうものだと受け入れる等の対応。特に僕は雨がとても好きなので共感したのが、雨の日に濡れる、汚れるなどのデメリットを見るか、潤い、誇りが透き通る、恵みの雨といったメリットを見るかと云うくだんが良かったです。物事に怒りを感じることはあくまでも自分の問題だと再再々度くらいに理解しました。
行動のもたらすもの
頭の中だけで見通しすぎることの弊害について語っています。恐怖は行動するまでの間に想像の中から生まれる。その恐怖で動けなくなるという事への警鐘。何かしようと思うと当然リスクを考えるけれど、それが過ぎると身動きできなくなる。山口 周さんの『美意識を鍛える〜』にも繋がる内容でした。
考えは強要してはいけない
人は強要されることには抵抗するという前提を思い出しました。猫でも無理矢理やろうとすると抵抗するし、これは正しさの前に、生き物としての性質なのだろうと思います。人のうまくないところは、正しさを掲げすぎるところかもしれない。正論は絶対というか。でもあくまでも相手がそれを受け入れるようにしむけなくては、正しさも伝わらないということを考え直します。
ということで多くの本はこうした古典で語られた内容の復刻なのだと知ります。それ自体は悪くないけれど、本というと何かちょっと立派なことが書いてあるという前提がありませんか。でも実はそうでもないな、と知ります。
村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』の要旨もこのなかで語られているものでしたし、多くの本に触れる大事さを改めて感じています。
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